MisFortune Pride

幼稚園は平和その物だった、絵で賞を取ったりもした

小学生の時「これから何が始まるんだろう」と思った

皆と仲良くなれると思っていた。だが一ヶ月も経たない内に其れが間違っていたという事を知る。

突然、悪口を言われ始めた、其処から僕の人生は全然面白くない物になった。

何故悪口を言われたのかは全く解らない、何故虐められ続けたのか全然解らない。

でも僕が全く意識していない事で、悪口を言われ続けたので僕は洗脳される。「そうなんだ・・・」と。

小学2年生の時、突然脚が痛みだした。苦痛だった、夜も眠れない。

何故僕がこんな事ばかりならなければいけない、されなければいけないと思い続けた。この頃から死ぬ事を意識し始める。

其処から毎日、殴られる、蹴られる、貶される。泣かない日は無かった。

「何で僕ばっかり・・・」と言ったら、其れも虐められる原因に。最低。

毎日、泣いてばかり居るのでウザがられ「どうせ嘘泣き」と決めつけられる様になった。この時点で皆から相手にされなくなっていた。

他の場所で虐められてる奴が居たのだが、何故かそいつにも虐められる事になる。訳が解らない。

一度だけ泣いて家に帰った事があった。虐められたというと「やりかえせ」と言われた。あの屈辱は本当に忘れない。

小学4年生の頃から虐めは酷くなっていった。トイレを覗かれたりもした。死ねばいい。

今まで仲が良かった筈の人の態度が豹変する。僕は何故か人に執着する様になっていた。

助けてくれる人に執着する、そして頼り過ぎて、見放される。繰り返し。僕は自分が解らなくなった。

小学校で人生が終わるのだろう、何故かそう思っていた。それくらいこの六年間は長かった。学校に行くと毎日お腹が痛くなった。其れは今でも完全に治らない。

卒業式、泣いてる先生を見て初めて涙が出た、止まらなかった。長かった六年間が終わった。

最も劣悪な中学校。虐められるのでは?と思っていた僕、正にその通り。

敵が一気に増えたので、そして力も強いので、殴られる回数は増えていった。でも何故か泣いていなかった。

友達を増やそう!と思った僕は頑張って話しかけた。結果、友達は増えた様に思えたのだが、其れも結局は敵になる。

毎日同じ事が続いて、人を避ける様に教室に行った。いつ敵が来るか不安だった。

元々無口だったけど、この頃はもう全くと言って良い程喋っていない。でもイイ友達も居たんですよ。

中学校を卒業する時、「あぁ、やっと解放されるんだ」と本気で思った、滅茶苦茶嬉しかった。

喋るのがしんどいと思うようになった。

でもイヤ奴が我がW高校に付いてくる。死ねば良いと思った。頭悪い癖に自分は気に入られていると勘違いする奴。ナカヤ。キモイ、殺したい。こいつにも2・3回ボコられている。

高校の時は色々気付く事があった、自分の兄みたいな人間が数人居た。

後、虐められてたけど、結局イイ人で頼り甲斐ある人だったんだーと思った。

高校の野球部ってのはマジでクソッタレだった。「オマエはバカか?」って云いたくなった。

甲子園が何だ?こいつらが如何云う性格か全く解っていない。野球部ってのはワンパターンだ。

同じ(様な)奴等しか居ない。そして大勢でツるんで他人をバカにしてる。自分達のバカさも気付く頭が無い。阿保だ。



この時期、「どうでもいい」という感情が芽生える。諦め、逃げ。

最低な奴等に悪口ばかり言われたけど、どうでもよかった。自分には信じている物があったからだ。

好きな人ができる。

でもその人は「もう死ぬ。」と云って、大量の薬を飲んで消えた。

先生が「あいつ、おらん!」と云って慌ててたのを覚えている。僕は先生と一緒に探しにいった。

その後如何なったかは言いたくない。



まぁ何と云っても最後の1年間が有意義だったし、自分の好きな事にも真剣に取り組んでいた。

でも何か他の人は僕がどんな授業取って何してるか知らなかったんだよなー。

沢山の人に出会えたし、友達の大切さも、出会いの大切さも知って、やりたい事があるって素晴らしいとも思えた。



まぁ、我慢と耐える事を徹底的に覚えた過去でしたな。

私は【ストレス発散人形】です